明日10月30日野間灯台にて
一年に一回だけ灯台に登れるイベントが開催(^^)v
新たなモニュメントの除幕式に合わせたイベントあり ↓ これに関係有?
↓ ↓ ↓ そ・し・て ↓ ↓ ↓
美浜恋ちゃんと武豊乙姫ちゃんのミニコンサートありヽ(^。^)ノ
楽しみだね(^^)v
赤いレンガの愛のプロムナードの先にはご存知、礫が浦の鳥居があります。
はしもとから徒歩5分 往復10分 ウオーキングなう
礫が浦の鳥居の伝説をご覧ください ↓ ↓
・・・・・・・・お伊勢さんまで行かずここからお参りする女将・・・・・・
◆◆◆◆◆◆もう少し歩いてみましようね◆◆◆◆◆◆
天然温泉白砂の湯でまったり、、、内海お吉ちゃんと、はい!ポーズ
唐人お吉像 ↑ 唐人お吉の生家跡 ↑ ↑
唐人お吉のご先祖様のお墓 ↑↑ 西岸寺境内
土日曜日の散策でしたら140年前に建てられた廻船船主内田佐七家へどうぞ・・・・・・・
11月27日までの公開日には 米蔵にて山崎修さんの新作切り絵を展示中
しっかりウォーキングした後は
はしもとでランチなどいかがですか????お一人様2525円
前菜4品 お刺身 フライ&サラダ 煮魚 茶碗蒸し他
日帰りランチコース お一人様2625円 予約制(2名様より)です
当HPお問い合わせフォームあるいは
直接お電話0569-62-0190
こんな小さな町【南知多・内海】でのコンサートは癒し系
★☆音楽ホールマリティーム10周年記念グリーンコーラス阿久比コンサート★☆
歌を歌う みんなで歌うと、、隣の人の音程につられることって有りませんか?
あちこちで音程の違う声が聞こえ合わせてハモって一つの歌声になる
友人と二人、これは絶対無理だ、つられる、、、やっぱ参加は無理聞くだけ(笑)
うっとりとコーラスにはまりました。
☆★夕方6時からは内田佐七家で秋の夜長の三人コンサート★☆
ヴァイオリン・ヴィオラ・コントラバスの演奏
プロの生演奏を内田佐七家で聴くことに意義あり
場所と演奏、秋、すべてがマッチ
これは行かなきゃあ雰囲気が伝わらない、、、
どなたが名付けたのか ♪♬ 秋の夜長の三人コンサート ♪♬
< 赤とんぼ 秋の夜長の コンサート >
何周年記念ではなく恒例にして欲しいです(^^♪
本日のお客様はなかよし兄弟会の皆様でした
皆様 健康で今年も元気にお会いできました(^ ^)
食と健康の館デス。
流下式枝条架塩田というやぐらのような施設で自然海水塩を作る工程を見ることが出来ます。
体験工房があって、塩作りだけでなく、
トンボ玉やウィンナー・豆腐・こんにゃくなどもつくることができるようです。
でもでも、でもでも、売店の「塩アイス」にどぉしても心を奪われ、
体験はとりあえず次回のお楽しみ♪ということにして、まずは「塩アイス」を買って、
小野浦海岸でたべることしました♪「しおぉぉっっ!!!」
って感じのソフトクリームでした\(◎o◎)/!
セントレアに帰る飛行機も内海海岸で見るより少し大きく見えて、
隣でギターの練習をしているお兄ちゃんのナイスなBGMもあって、
とても優雅なおやつタイムでした。お土産はもちろん「美浜の塩」(^_^)v
続いて野間大坊さんへ行きました(*^_^*)
歴史で習った源氏と平家の戦い。その物語がこの野間にもありました。
平治の乱に敗れた源義朝が最期を迎えた地で、
剣の達人だった義朝が入浴中に襲われ「小太刀なりとも」(←。。。
小太刀が一本でもあれば襲われても戦えたのに。。。)と
叫びながら無念の死を遂げたという言い伝えから、
義朝の墓にはたくさんの小太刀が供えられています。
義朝の首を洗い清めたたという池もあり、
日本に何か不吉なことが起きる前には
この池の水が赤く染まるという言い伝えから「血の池」と呼ばれています。
あとは、本四国八十八ヶ所霊場巡りができるので、お遍路さんの姿もありました。
とにかく、歴史深く不思議な空気の漂うお寺で、今時のフレーズでいうと「パワースポット」という感じです^_^;
体験しかり歴史しかり、知多半島はなんだか盛りだくさんだなぁとしみじみ感じた1日でした。
こうなると、もっと見所を探したくなってしまうはしもとさんでした(^^ゞ
はしもとから野間大坊までお車で10分 食と健康の館まで5分→近いです
お問い合わせはお電話0569-62-0190 お待ちしております
南知多内海バス停に7時集合し午前中に篠島まで、
お昼は昨年同様師崎のお店。
魔の階段時志観音は一気に登り、下りは車道を転がるように国道まで
どどどどどと降り
無地終了しました・・・・
田舎のバスは親切・・・・帰りにはしもとの近辺まで送って頂きました。
これが重大!
誓海寺で売られている草餅がうまいらしい・・・・らしい・・・
まだ食べたことはないけど、昨年は購入できず
今年は一つだけゲットできたのに、、、(T_T)
1つだけなので大事に隠していたら、、、、見つけられ、、、
おいしいものはにおうらしく(残念)
孫に昨晩
食べられてしまいました(笑)
食べたいものはどうしても食べたく、電話で聞いたところ
明日22日は販売されるそうです・・・・なので
明日は誓海寺さんまで走りますヽ(^。^)ノ
朝晩と寒いなと感じる今日この頃・・・・
これがおすすめ!はしもとスタッフ一同おすすめコース♪
ミニとら河豚コースもありますよ ↓↓↓
1泊2食 平日4名様 12600円 てっさ てっぴ 唐揚げ 鍋 雑炊
夕焼けこやけで日がくれて、、、
お家に帰ろかなぁ♪
10月15日内田佐七家にて尾張万歳の公演がありました♫
↓ 向かって左端の子は中学生でした~頑張れ・・・と応援♪
~~ 尾張万歳の起源は、地元の伝承によれば弘長三年(1263)に、
現在の名古屋市東区矢田町の長母寺の開山、無住国師が【法華経万歳】を作ったのが始まりとされ、
室町時代には長母寺の境内であった知多半島にまで伝わっていたものと見られている
その後、
江戸時代に4つの技師聞いてき演目(六条万歳・神力万歳・地割万歳・御城万歳)が加わり、
【五万歳】として尾張万歳の基本が出来上がったとされる。
この【五万歳】は宗教的・儀式的色彩が強いものであったが
一方では近世を通じて「福倉持倉」「入込」「三曲万歳」「御殿万歳」など
娯楽的な要素を持った演目が加わるようになった。
これは尾張万歳が農民達の農閑期の出稼ぎ芸として行われるようになったためで
家々の軒先で演ずる門付万歳や得意先の座敷の上で演ずる檀那場万歳という形で、
正月を中心に関西・中部・関東地方にまで回国するようになっていった。
明治維新後は、これらに加え、遊芸稼人の鑑札を受け、より娯楽性を加味して
各地を巡業する一座も出現するようになり、
のちの演芸としての漫才の基礎ともなっていったと考えられる。
尾張万歳は、扇子を持った太夫とと鼓を持った才蔵との二人一組で、
才蔵の鼓に合わせて太夫が祝言を述べて舞ったり、
言葉の掛け合いをしたりするのが基本である。
伝承演目は、祝福芸として厳格な作法で演じられる儀式的な「五万歳」、
娯楽的な演目として歌舞伎の段物を演じる「三曲万歳」などがあり
知多地方の庶民の伝統芸能である。~~と説明文がありました。
残念ながら
私の記憶の中ではお正月に回ってきた獅子舞しか覚えておらず(-_-;)
今の漫才は知って入るけど万歳ははじめて。
なかなか興味深く楽しめました。
残念なことに当日は雨☂☂☂
来場者の少なさには (*_*) (*_*; でした。
注意、
来場者の中には今度は切り絵があり、コンサートがあるんだね。と
つぶやいてるおばちゃんがいました・・・もっとつぶやいて欲しいですね♫
ツイッターじゃなくても井戸端会議でつぶやいてね(笑)
10月9日晴天 内海山海地区の町民体育祭開催!
仕事の都合で見れない女将に
ツイ友から送られてきた写真はこれ↓
ぼかしてあります (-_-;)
いつでもどこでも出たがりKちゃんです
開会式後 交通安全宣言の彼、でっかい子です
恥ずかしくて 恥ずかしくて 恥ずかしくて
うちでは記念撮影できませんでした(-_-;)
女将の恥ずかしい思い出です・・・・
武豊小学校の5年生か6年生のとき、
運動会でフォークダンスがあり、輪の向こうで
母親が <あっ たみちゃんがいる、あそこあそこ>と
大声を出して母の友人と叫んでいた母、
ホント恥ずかしかった記憶があります。
兄弟対決となった棒引き
赤が次男 白が長男
結果
赤の勝ち・・・
次男 長男・・・、、、いつも名前を間違えて
応援します・・・・ 顔と名前が違う確率70%
頭の中では顔と名前は一致してるけど
声に出すときは 【あ】taisei が一番
2番はこっち→【お】kouki
不思議な現象です(笑)